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横浜地方裁判所 昭和54年(ワ)1646号 判決 1988年7月20日

原告

後藤肇

原告

後藤毬

右両名訴訟代理人弁護士

中島通子

淡谷まり子

被告

清水昭

右訴訟代理人弁護士

藤井暹

西川紀男

橋本正勝

饗庭忠男

水沼宏

主文

被告は、原告らそれぞれに対し、各金二二九五万六二五〇円及び内各金二一四五万六二五〇円に対する昭和五四年九月二一日以降、残金各一五〇万円に対する本判決確定の日以降各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告らの、その余を被告の各負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告ら

1  被告は原告らに対し、それぞれ五〇〇〇万円及びこれに対する昭和五四年九月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決及び仮執行の宣言

二  被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決

第二  原告らの請求原因

一  当事者

原告らは、後記事故により死亡した後藤牧子(昭和四一年三月四日生。以下「亡牧子」という。)の両親である。

被告は、肩書住所地で清水医院(以下「被告医院」ということがある。)を開設している医師である。

二  本件医療事故発生の経過

1  亡牧子は、一二歳であった昭和五三年一〇月三一日夕方、腹痛のため訴外内科医椎橋忠男の診察を受けた結果同医師から、虫垂炎、白血球一万一〇〇〇、心室中隔欠損症の既往症を有する患者であるとして被告を紹介された。

亡牧子は、同日午後六時ころ被告の診察を受けたところ、急性虫垂炎断あり早急に手術が必要であると診断された。そこで、原告らは手術に同意し、亡牧子はそのまま被告病院に入院した。

これにより、原告らと被告との間において、亡牧子の虫垂炎の手術並びに術前の諸検査、術後の看護及び術前術後の全身管理等について、被告が医師として最

一  当事者

高度の注意義務をもってこれに当たる旨の準委任契約が成立した。

2 亡牧子は、翌朝午前九時の手術を予定した被告の指示により入院当日の午後八時ころ、トースト一枚、牛乳一八〇cc、チーズ一切れ及びスキヤキ少量の軽食を取り、以後の飲食物は取らないで手術にそなえたが、手術は翌朝午前九時の予定が午後一時開始に変更されたにもかかわらず、亡牧子は、右以外に飲食物を取らなかったため、手術時には著しい空腹とのどの渇きを訴える状態(脱水状態)にあり、これが後記医療事故を誘発する一原因になった。

3 亡牧子は、一一月一日(以下、日の記載は、特に断わらない限り、昭和五三年として表示する。)午後一時少し前ころ、手術室に入室した。

手術は、被告が担当し、これを看護婦の堺勝子(以下「堺看護婦」という。)、看護婦資格のない看護補助者の志鹿詩子(以下「補助者志鹿」という。)及び同様の立場にある被告の妻の清水玲子(以下「玲子」という。)が補助したが、まず、亡牧子の入室前から一時二〇分(特に断わらない限り、昭和五三年一一月一日の午後を表示し、午前と表記したときは同日の午前を表示する。)までに、手術器具の準備、手の消毒及び亡牧子に対する前投薬の皮下注射、腰椎穿刺部位の消毒等がなされた。

なお、玲子は、一時過ぎころに遅れて入室し、間もなく電話をかけるために一旦退室して約一五分後に戻ってきた。また、手術室の室内電話に保健所から電話がかかり、その都度補助者志鹿が電話を取り、被告に取り次いで応答した。

4 玲子が戻った後の一時二〇分、被告は、亡牧子を左側臥位にして腰椎に脊椎麻酔用剤のペルカミンS又はネオペルカミンSを2.1ミリリットル注入した。

こうして麻酔薬を注入後、被告は、亡牧子を仰臥位にし手術台を一〇度から一五度位頭高位に傾斜させて固定し、亡牧子の頭を枕にのせて手術を開始した。この状態は後記事故発生まで続いた。

右の手術開始から一時三五分ころまでの約一五分間は、玲子は、亡牧子の血圧を測定し、二、三回その値を執刀中の被告に報告したが、玲子はこのころ手術室から退室し、以後亡牧子に対する血圧測定は行なわれなかった。他方、堺看護婦は、器械出し、こう引き等の手術の直接介助を、補助者志鹿は、いわゆる外まわりを担当した。

この手術開始後一五分も経過しないころから、亡牧子は、か細い声で「苦しい」「やめて」と訴えていたので、手術室前の廊下で待機していた原告らは、このころ前記のとおり手術室から退室したきた玲子に頼んで、被告に対し何とかして欲しい旨を伝えて貰ったが、被告は何ら答えなかった。

5 それから間もない一時四〇分ころ、被告は原告毬を手術室内に招き入れ、切除した亡牧子の虫垂を挙上して見せた。

しかし、亡牧子はこのとき開腹されたままの状態である上、声は弱々しく、顔色が悪かったので、原告毬は被告に早く手術を終えて欲しい旨を依頼して退室した。

このとき、亡牧子の両腕には点滴は行なわれておらず、血圧計も巻かれていなかった。

6 その後、亡牧子がささやくような声で「苦しい」「やめて」と言い、せき込んでいるのが手術室のドア越しに聞かれた。

一時五〇分ころ、被告は原告両名を手術室に呼び入れた。このとき、手術は終わっていたが、亡牧子は顔面蒼白で、聞きとれない程の声で「寒い」と言っていた。

原告らは、被告に対し何とかしてやって欲しいと頼んだが、被告は「麻酔でトラブルが起こるのは最初の一五分だけしかない。麻酔が解けるときはあんなものである。」旨を述べ、このときも取り合おうとせず、堺看護婦と補助者志鹿に指示して、亡牧子にパジャマを着させ、原告らを退出させた(以上の手術を「本件手術」という。)。

7 原告らが退出して間もない二時ころ、手術着を脱ぎ手術室から出てきた被告は、手術室のドアを開けたまま原告らに手術が成功した旨を告げていたが、その間に亡牧子の顔色が形容し難いような土色になったのを見た原告らは思わず叫び声を上げ、手術室内にいた堺看護婦もほとんど同時に異常に気付いて、切迫した声で被告を呼んだ。振り返った被告は、慌てふためいて手術室内に戻り、ドアを閉めた。

8 被告は、亡牧子の腕に血圧計を巻いたが測定不能であった。そこで、被告は、開放式酸素マスクの装着及び下肢から昇圧剤投与のための点滴静注を堺看護婦らに指示し、自らはマウス・トゥ・マウス(口対口)人工呼吸と心マッサージをした。

しかし、下肢への静脈注射は、血圧が低下していて静脈の探り当てが難しく、実行できなかったし、他に昇圧剤を送り込むための血管は確保されていなかった。また、被告は開放式酸素マスクは自発呼吸の弱まっている亡牧子には効果がないにもかかわらず、手術室にあったエアバッグによる人工呼吸をせず、さらに補助者志鹿に指示して一階の部屋から三階の手術室まで蘇生器を運ばせたにもかかわらず、これも使用せず、口対口人工呼吸を継続した。しかも、エア・ウェイを使用しない方式であったし、口対口人工呼吸をしながら心マッサージをしたので、心マッサージも十分な効果が上げられなかった。

9 被告は応援の医師を頼んだが、手遅れであり、亡牧子は、三時四〇分ころまでの間に死亡した。

三  亡牧子の死因

1  脊麻ショックの一般的な性質

(一) 脊麻ショック発生の仕組

脊椎麻酔(以下「脊麻」ということがある。)とは、クモ膜下腔に局所麻酔剤を注入して、脊髄の前及び後根を麻痺させる麻酔方法で腰椎麻酔とも呼ばれる。

脊椎麻酔をかけると、脊髄神経中の知覚、運動及び交感(自律)の各神経繊維がすべて遮断され、これにより痛覚が失われ筋肉が弛緩するため、手術に適した状態が得られる。しかし、反面、運動神経の麻痺は呼吸筋の抑制に結びつき、交感神経の遮断は、麻酔効果の支配域にある血管の拡張、血流床の増大、心臓への還流血液量の減少、血圧の低下をもたらす。これらは、神経遮断の及ばない上半身の呼吸筋の代償作用や血管の収縮等によって、ある程度までは回復されるが、限界を超えると、呼吸不全及び循環不全をもたらし、ショック状態にまで至る。これが脊麻ショックであり、対処方法の適切さを欠くと死をもたらす。

(二) 脊麻ショックと麻酔部位及び発症までの時間

この脊麻ショックは、高位麻酔である程生じ易いが高位麻酔に限られるものではない。また、脊麻ショックは、かつては麻酔剤を注入後一五分以内に発現するのが大多数であるとの見解が有力であったが、その後、更に長時間を経過した後に発現する症例が数多く報告されるに至っている。

(三) 一五歳以下の年少者と脊麻ショック

成長過程にある患者には脊麻ショックが多発しているとの報告がある。そのため、成長中の患者は麻酔のレベルが上がり易いので薬液量を減らすべきであるといわれている。

この原因については、思春期の患者は自律神経の緊張が非常に亢進しているからであるとの説を唱える者もある。また、脱水状態が脊麻ショックを惹起し易いところ、成長中の年少者は新陳代謝が盛んなため、これが脱水状態を生ずる原因になる関係があり、注意が必要とされる。

(四) 昇圧剤エフェドリンと脊麻ショック

脊麻においては、(一)で主張したように血圧の低下がみられるので、予防ないし対症措置として昇圧剤であるエフェドリン等が術前ないし術後に投与されることが多い。しかし、エフェドリンは、その効果の持続時間が長くないため、術前に投与するだけでなく、術中に血圧管理をしながら適宜エフェドリンを投与するのが脊麻ショックの予防上必要である。

(五) 特異体質及び心原性ショックとの異同

脊麻の効力が持続している間は、循環不全及び呼吸不全等による脊麻ショック発生の危険が存在するのであり、余程明確な根拠がない限り、ショックの原因を特異体質又は出血性ショックや心原性ショックに求めるべきではない。

(六) 脊麻ショックの予防法

脊麻は血圧下降を伴うものであるから、術前の昇圧剤投与のみでなく、血管を確保し、麻酔剤注入後麻酔の効果が持続している間(最低二時間半)血圧測定を継続し、血圧下降を認めたら昇圧剤を輸液管を通じて静脈注入すべきである。

また、脊麻は呼吸抑制をも惹起するので、術中呼吸抑制の有無を慎重に監視し、顔色が悪くなったり発声障害、吐き気等の徴候があれば直ちに純酸素による補助呼吸を行なうべきである。

さらに、高比重の麻酔剤であるペルカミンSによる脊麻においては、麻酔が高位に及ばないように注意するのはもとより、下半身に大量の血液が流入して血圧下降を招かないように患者の体位に注意して慎重に麻酔管理をする必要がある。

のみならず、脊麻ショックを避けるためには、術前の患者の状態を良好に保ち、術前術後は顔色等患者の一般状態の監視を十分に行ない、異常の早期発見とこれに対処する必要がある。特に、発育中の年少者に対しては特別慎重な措置が必要である。

(七) 脊麻ショック発生後の措置

脊麻ショックが発生した場合、昇圧剤の投与等によって血圧を上昇させると共に、酸素を投与して血中酸素濃度を高める必要がある。さらに、心停止の徴候がある場合には、心マッサージを行なうことによって循環機能の維持と回復を図らなければならない。

そして、右の措置を実現するためには具体的には次の措置を講じるべきである。まず、血圧が下降すると血管を確保するのが困難になるため昇圧剤を早急に投与する必要が生じる場合に備えて、予め患者の血管を確保していなければならない。この措置は手術後もしばらくの間は継続しておく必要がある。次に、酸素投与を迅速効果的に実施するため、手術に際し、予め手術室内にエアバッグ、蘇生器等を備えておかなければならない。さらに、心マッサージを適切に実現し、併せて前述の措置を実施するため、訓練された要員を配置する必要がある。

2  亡牧子の死因

(一) 前記二の経過のとおり、亡牧子は成長過程の一二歳であり、手術前一七時間飲食せず脱水状態にあったから、脊麻に対してショックを惹起させ易い素因があった。その上麻酔の高さについての管理が適切になされなかったため、亡牧子に循環不全及び呼吸不全が生じた。

ところが、被告が麻酔開始後一五分について血圧管理をしその後の管理をしなかったために被告は亡牧子の血圧が下降し、呼吸抑制の状態に陥っていることに気付かず、適切に対処しなかったので、呼吸抑制の状態が進行して脊麻ショックが生じるに至った。

さらに、被告は脊麻ショックが生じた後においても、適切な救急措置を採らなかったため、亡牧子が死亡するに至ったものである。

このように、亡牧子の死因は、被告による脊麻の実施及び実施後の麻酔管理の不十分によってもたらされた脊麻ショックにあり、被告の右行為及び脊麻ショック発生後の不適切な救急措置と亡牧子の死亡との間には直接的な因果関係がある。

(二) なお、亡牧子は生後一か月に軽い心室中隔欠損症と診断されたが、一〇歳のとき国立小児病院で心臓血管造影検査を受け、専門医からスポーツをはじめ日常生活に制限を加えられなかったのであって、右心臓に存した病変は死因と無関係である。

(三) また、事故の経過は前記二のとおりであるところ、被告は事故後証拠を捏造する等した上、この点に関して虚構の事実を主張している。

しかし、仮に被告が主張するように、麻酔薬注入後九〇分余り後に突然亡牧子がショック状態を呈したのであるとしても、死因は循環不全による脊麻ショックである。そして、被告が二時一八分以降亡牧子の血圧測定をしていなかったことは被告の自認するところであるから、このような血圧管理の不適切さが亡牧子の循環不全の発見の遅れをもたらし、その後の不適切な救急処置と相俟って亡牧子を死に至らしめたのであり、被告の右行為と亡牧子死亡との間に因果関係がある。

四  被告の責任

1  脊麻ショックを発生させた過失

(一) 患者の状態を良好に保たなかった過失

脊麻ショックを予防するためには、術前の状態を良好に保つ必要がある。特に、脱水状態は避けなければならない。

ところが、被告は、前記主張のとおり、亡牧子が、前日からの絶食によって手術当時脱水状態にあったにもかかわらず、事前に輸液等により亡牧子の全身状態を良好にする措置を怠り、漫然と脊麻を施行した。

(二) 麻酔管理を怠った過失

(1) 血圧管理上の過失

脊麻は血圧下降を伴うものであるから、術前に昇圧剤の投与をするだけでなく麻酔の効果が持続している限り継続して血圧測定を行ない、術後といっても血圧下降の兆を認めたときは昇圧剤を静脈から注射(以下「静注」ということがある。)するなどの措置をとるべき注意義務がある。

ところが、被告は、脊麻ショックが生ずるのは、麻酔後一五分以内に限られるものと安易に思い込み、血圧測定を麻酔後一五分間で中止し、昇圧剤も脊麻施行の二〇分前にエフェドリン0.5ミリリットルを皮下注射しただけで、その後の血圧管理を怠ったため、亡牧子の血圧下降に気付かなかった。

(2) 血管確保を怠った過失

血圧が降下したのちは、昇圧剤を静注するための血管を確保することが困難になるため、脊麻を行なうに際しては予め血管を確保して置くべき注意義務があるところ、被告はこれを怠った。

(3) 呼吸管理上の過失

施術者は術中患者の状態を監視し、顔色が悪くなったり、発声障害及び吐き気等の徴候があれば直ちに純酸素による補助呼吸を行なう注意義務がある。

ところが、被告は監視を怠り、かつ、右のような徴候を認めた原告らからの訴えをも無視して、不十分な開放式マスクによる酸素吸入以外の措置を講じなかった。

(4) 体位管理上の過失

高比重の脊椎麻酔剤であるペルカミンSによる脊麻においては、麻酔が高位に及ばないようにすると共に、これを避けるために頭高位傾斜を継続することによって下半身に大量の血液が流入して血圧下降を生じることのないように患者の体位に注意する義務がある。

ところが、被告は、術中著名な頭高位傾斜を継続する過ちを犯したため、亡牧子に血圧降下を生じさせた。

(5) 一般状態の監視を怠った過失

被告は、手術中患者の状態を十分注意して手術に専念する義務を怠り、血圧測定という重大な作業を無資格の玲子に担当させたうえ同女が何度も血圧測定から離れて手術室を退室するのを容認した。また、被告は、手術中に原告らを手術室に呼び入れ、亡牧子を放置したまま手術の自慢話をするといった軽薄な態度をとった。

2  発生した脊麻ショックに対する処置を誤った過失

(一) 迅速な昇圧剤投与を行なわなかった過失

ショック発生時には迅速に昇圧剤を投与すべきところ、血管が確保されていなかったため、ショック発生後にはじめて亡牧子の下肢へ点滴が試みられ、昇圧剤の投与が遅れた。

なお、仮に被告が主張するように、ショック発生時に左肘静脈に点滴が継続されており、これによって血管の確保がなされていたといえるとしても、被告はこれを使って速かに昇圧剤を投与せずに下肢に新たに血管を確保しようとして昇圧剤の投与を遅れさせた点で過失がある。

(二) 適切な人工呼吸を行なわなかった過失

ショック発生後には確実かつ効果的に高濃度酸素を与える義務がある。

しかるに、被告は、ショック発生時に手術室内にあったエアバッグや挿管を用いずさらには、ショック発生後一階から蘇生器が運び込まれた後においてもこれを使用せず単に口対口人工呼吸を施したに過ぎなかった過失がある。

また、右のうち蘇生器については、そもそも三階の手術室内に事前に加圧式呼吸器(蘇生器)を備えていなかった点においても過失があったというべきである。

(三) 効果的な心マッサージを行なわなかった過失

被告としては、看護婦や助手らに人工呼吸を担当させ、自らは心マッサージに専念すべきであったのに、一人で口対口人工呼吸をしながら心マッサージも行なうという効果の乏しい措置を講じた点において、過失がある。

(四) また、(一)ないし(三)の過失は、脊麻ショックが生じた場合に対応すべき知識の修得、態勢の整備及び訓練上の対策を平素から講じておくことを怠った過失ということもできる。

五  損害

1  亡牧子の損害

亡牧子は、本件事故当時フェリス女学院中等部一年に在学中の健康な女子であり、父母と姉に囲まれ幸福な日日を送っていた。

ところで、昭和五六年度の賃金センサスによれば、全産業計全労働者の平均賃金は年間三一〇万一六〇〇円である。そこで、これに基づき、亡牧子が一八歳から稼働したとしてその逸失利益を求めると三二四七万七〇六五円となる(生活費割合0.5、新ホフマン係数20.938)。

310万1600×0.5×20.938=3247万7065

また、本件事故に伴なう亡牧子の精神的苦痛を金銭に換算すれば、三〇〇〇万円を下らない。

そこで、亡牧子は右金額合計の範囲内である少なくとも五〇〇〇万円の損害を被ったものであり、原告らはこれを各自二分の一宛て相続により取得した。

2  原告ら固有の慰謝料

原告らはいずれもその掌中の玉ともいうべきかけがえのないわが子を失ったものであり、その驚き、悲しみ、怒りは筆舌に尽くし難い。原告毬は、本件事故後ショックのあまり精神状態が不安定となり、病院に通った程である。

この原告らの苦痛を金銭に換算すれば、少なくとも各自二〇〇〇万円を下らない。

3  弁護士費用

被告が本件事故後責任を認めようとせず話合いも拒否するので、原告らは、原告ら訴訟代理人に訴えの遂行を委任し、昭和五四年八月着手金として各自五〇万円を出損し、訴訟終了時に各自請求額の一割を報酬として支払う旨を約した。

六  結論

よって、原告らは、債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求権に基づき、被告に対し右五の合計額である、各自五〇〇〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和五四年九月二一日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三  請求原因に対する被告の認否

一  請求原因一の事実は認める。

二  同二について

1  同二1の事実は認める。但し、被告が、亡牧子について急性虫垂炎であり早急に手術が必要であると診断し、原告らが直ちにこれに同意したとの部分は否認する。

被告は、昭和五三年一〇月三一日夕方の初診の際、亡牧子が急性化膿性虫垂炎に罹患していることを疑ったが確定診断には至らず、経過観察のために入院を決定したものであり、手術決定とこれに対する原告らの同意は翌一一月一日の検査後になされたものである。

2  同二2のうち、入院当日被告が亡牧子にトースト一枚程度の軽食を許可したことは認め、その余は否認する。

被告は、亡牧子の経過観察と診断のために飲食を禁じたもので、水を飲むこと位は許していた。また、被告は、一一月一日の午前の診断の結果、はじめて虫垂炎の確定診断をして手術を決定したものであって、手術時間を一一月一日午前九時から午後一時に変更したのではない。亡牧子の手術前の全身状態は良好であった。

3  同二3のうち、亡牧子が一一月一日午後一時ころ手術室に入室したこと、手術を担当したのが被告で、これを堺看護婦、補助者志鹿及び玲子が補助したこと、一時二〇分ころまでに手術の準備、前投薬の皮下注射等がなされたことは認め、その余は否認する。

玲子は手術終了まで手術室から退室していないし、手術室に保健所からの電話がかかったことはない。

4  同二4のうち、第一段及び第二段の事実は認める。但し、第二段末尾の頭高位状態を継続したとの点は否認する。被告は、その後亡牧子の体を水平状態にしている。このことは、麻酔がへその高さまで及んでいることから明らかである。また、第二段末尾の手術開始時刻は否認する。執刀開始は一時三五分である。

同二4第三段、第四段の事実は否認する。

5  同二5第一段のうち、被告が原告毬を手術室内に招き入れ、亡牧子の虫垂を見せたことは認めるが、その余の事実は否認する。後記9のとおり、見せた時刻は一時五五分ころであり、かつ未だ切除していない虫垂である。

同二5第二段、第三段の事実は否認する。

6  同二6、7の事実は否認する。

手術が終わったのは二時一八分であり、このときに原告らが手術室に入室したものである。また、手術後も左上肢は点滴静注中なので、パジャマはズボンだけ着させ、上は右袖だけを通させたのである。そして、手術室の片隅で着替えをしながら亡牧子の状態を観察していた被告がはじめて何となく亡牧子の顔色が悪いのに気付き、脈及び血圧を診、プレショックを疑い、リンゲル五〇〇ミリリットル(以下「cc」又は「ml」と表示する。)、カルニゲン一アンプル(以下「A」と表示する。)、エホチール一A、ハイドロコートン四〇ミリグラムの点滴を右下肢に追加静注したものである。

7  同二8のうち、被告が開放式酸素マスク、右下肢からの点滴静注、口対口人工呼吸及び心臓マッサージの措置を採ったことは認め、その余の事実は否認する。

8  同二9の事実は認める。

9  本件の経過は次のとおりである。

(一) 昭和五三年一〇月三一日午後六時四〇分ころ、亡牧子が原告毬に伴われて来院した。原告毬は、被告に訴外椎橋医師の紹介状を差し出した。これには虫垂炎の疑いあり、白血球一万一〇〇〇、心室中隔欠損症を有する旨の記載があった。

(二) 診察の結果、腹壁緊張(+) 局所圧痛(+)、腹膜刺激症状(+)、体温37.1度、吐気(±)、嘔吐(−)、下痢(−)、糞便及びガスの排出(+)の診察結果を得、一応急性化膿性虫垂炎を疑ったが、確定診断に至らず、また、自発痛もあまりなかったので、被告は、抗生剤の投与を控え(この段階で抗生剤を投与すると症状の診断を狂わす虞れがある)、経過を観察するため入院を決定し、亡牧子に軽食(トースト一枚くらい)を許可して病室に案内させた(翌朝は絶食)。

(三) 午前八時三〇分から、被告は、亡牧子の診察・検査をした。その結果、前日の診察結果中みられた(+)の症状が増強し、かつ白血球一万八〇〇〇、赤血球四五〇万、血色素八五パーセント(ザーリー)、血圧一二八―六〇、脈拍七八、聴打診異常なし、尿蛋白(−)、尿糖(−)、ウロビリノーゲン(−)、心電図異常(−)、胸部レントゲン異常(−)、家族歴特記すべきものなし、既往歴の心室中隔欠損症は治癒、未月経との検査結果及び診察結果を得、虫垂切除術の適応と要約を認めた。

午前一〇時ころ、被告は、亡牧子に対し、麻酔のための問診を行なった。

(四) 右検査及び問診の結果、被告は、亡牧子に腰椎麻酔を伴う手術を行なうこととし、一時一〇分に前投薬である硫酸アトロピンを投与することとした。

(五) 午後一時以降の診療経過・亡牧子のヴァイタルサインは以下のとおりである。

(1) 一時〇分 血圧・最高値一二八―最低値七〇(以下血圧の表記は先に最高値を後に最低値を記す。)、脈拍九〇、緊張良

(イ) 補助者志鹿は手術室準備完了し、堺看護婦を介助した。

(ロ) 堺看護婦は亡牧子を手術室に誘導し、被告の指示で前投薬皮下注射した上手術台の上に亡牧子を誘導した。

(ハ) 被告は血圧、脈拍を測定し、聴打視問診により異常のないことを確認の上、堺看護婦に前投薬として硫酸アトロピン0.5ml、エフェドリン0.5mlの皮下注射を指示し、手洗い、手術着装着した。

(ニ) 玲子は照明等を整備し、被告の手術着装着を手伝った。

(2) 一時一〇分 血圧一二八―七〇、脈拍九〇、緊張良

(イ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定し、酸素マスク装着の上、五パーセントブドウ糖五〇〇mlの点滴静注を開始し、亡牧子を左側臥位にさせた。その後点滴速度を調節した。

(ロ) 補助者志鹿は被告及び堺看護婦を介助した。手洗いをした。

(ハ) 被告は腰椎穿刺部位の消毒をした。

(ニ) 玲子は堺看護婦が点滴を行なうのを介助した。

(3) 一時二〇分 血圧一三二―八〇、脈拍九〇

(イ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定し、穿刺後亡牧子を仰臥位とした。

(ロ) 被告は亡牧子の第三、第四腰椎の椎間部に穿刺、ネオペルカミンS2.1mlを注入した。(手術台は約一〇度の傾斜をもって頭部高位)。

(ハ) 補助者志鹿は手術着を装着した。

(ニ) 玲子は補助者志鹿の手術着装着を手伝った。

(4) 一時二五分 血圧一三〇―六〇、脈拍九〇

(イ) 堺看護婦は脈拍、血圧を測定した。

(ロ) 被告は麻酔高を調べた。

(ハ) 補助者志鹿は手術器具を機械台に並べた。

(ニ) 玲子は機械台の位置を整備した。

(5) 一時三〇分 血圧一二〇―七〇、脈拍九〇

(イ) 堺看護婦は脈拍、血圧を測定した。

(ロ) 被告は麻酔高を調べ、麻酔臍高とした。

(ハ) 補助者志鹿はガーゼ、糸を準備して待機した。

(ニ) 玲子は外回り(点滴・患者の左腕・頭部の看視)に当った。

(6) 一時三五分 血圧一二二―六〇、脈拍(記録なし)

(イ) 被告は執刀を開始した。

(ロ) 堺看護婦は脈拍、血圧を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り(点滴・患者の左腕・頭部の看視)に当った。

(7) 一時四〇分 血圧一三〇―六四、脈拍一一八

(イ) 被告は執刀(腹膜切開)を行なった。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り(点滴・患者の左腕・頭部の看視、汚物ガーゼの処理、汗拭き)に当った。

(8) 一時四五分 血圧一二〇―六〇、脈拍九二

(イ) 被告は執刀(虫垂癒着剥離)を継続した。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り((7)に同じ)に当った。

(9) 一時五〇分 血圧一二八―六〇、脈拍九八

(イ) 被告は執刀(虫垂癒着剥離)を継続し、麻酔高臍上二指を確認した。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り((7)に同じ)に当った。

(10) 一時五五分 血圧一三四―六四、脈拍八八

(イ) 被告は原告毬に虫垂を切開創から挙上して見せて、簡単に説明した。原告毬退室後虫垂を切除した。虫垂は拇指大に肥厚化膿していた。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り((7)に同じ)に当り、原告毬の入室・退室を誘導した。

(ホ) 原告毬は手術室に入室して被告の説明を聴き、亡牧子と会話した。

(11) 二時〇分 血圧一三〇―七四、脈拍八八

(イ) 被告は切除部位を埋没縫合し、腹腔内の清拭を行なった。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り((7)に同じ)に当った。

(12) 二時五分 血圧一二八―七〇、脈拍八八

(イ) 被告は腹腔内を清拭し、腹膜縫合を行なった。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回りに当った。

(13) 二時一〇分 血圧一二二―六〇、脈拍八〇

(イ) 被告は筋膜、皮膚を縫合した。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り((7)に同じ)に当った。

(14) 二時一五分 脈拍八〇(血圧測定は二時一八分にずれこんだ。)

(イ) 被告は皮膚縫合を行なった。

(ロ) 堺看護婦は血圧、脈拍を測定した。

(ハ) 補助者志鹿は器械出しに当った。

(ニ) 玲子は外回り((7)に同じ)に当った。

(15) 二時一八分 血圧一二六―五〇

(イ) 被告は皮膚縫合終了(手術終了)麻酔臍高を確認、切開創消毒、血圧、脈拍の測定、血圧計取りはずし指示した。原告両名に切除した虫垂を見せて説明の上、手術部位消毒、器械片付けを指示して着替えをした。

(ロ) 玲子は原告両名を手術室に呼び入れた後に退室した。

(ハ) 原告両名は被告の説明を聴き、亡牧子と会話を交した後、被告に礼を言って退室した。

(ニ) 堺看護婦は血圧計を取りはずし、手術部位の清拭消毒、腹帯巻きをし、パジャマのズボンをはかせ、上衣は右腕のみを通し、左は羽織らせた。

(ホ) 補助者志鹿は器械を片付け、堺看護婦の介助をした。

(16) 二時三二分

(イ) 亡牧子の状態は特に異常というほどではなかったが、被告が、何となしに亡牧子の顔を見たところ、いくらか血管の張り(緊張)が弱く、やや不整脈であった。そこで、被告は血圧計を巻き直し測定したところ、最高値一〇〇―最低値四〇であったので、直ちに堺看護婦にリンゲル五〇〇の点滴静注を右足に追加するよう命じる一方、補助者志鹿に一応蘇生器を一階から運び上げるように命じた。亡牧子は被告に「気持悪い」と訴えたが、呼吸は正常、脈は弱かった。引き続いて血圧を測定したが、なかなか測定困難であった。血圧は急速に低下したので、被告は補助者志鹿に命じて、室内電話で、玲子に応援医師に連絡するよう指示し、酸素マスクを再装着した。亡牧子の胸式呼吸は正常であったが顔色が蒼白で、額に汗を認めた。瞳孔は正常だが、「気持悪いよ。むかむかするよ。」と訴えた。チアノーゼは(−)であった。

堺看護婦に、カルニゲン一A、テラプチク一A、エホチール一A、ハイドロコートン四〇ミリグラム(以下「mg」と表示する。)を側管から注入するよう指示した。

(ロ) 堺看護婦は被告に命じられて亡牧子の右足に点滴静注した。注射針は難なく入り、右指示された薬剤を側管から注入した。

(ハ) 補助者志鹿は蘇生器を搬入し、室内電話で玲子に応援医師の要請方を連絡した。

(17) 二時三五分

被告は、引き続き血圧測定を試みたが測定は不能であった。脈拍は不整で、胸部に直接耳を当て心音を聴取したところ、弱くかつ不整であった。心マッサージを施行した。意識はやや混濁し、頬を叩くと眼を開けるが、ぼんやり(ぼおっとした感じ)していた。乳の下をつねると顔をしかめるので麻酔高は上がっておらず、したがって呼吸抑制はないと判断した。右肘静脈の点滴にヘスバンダー五〇〇ml、カルニゲン一A、エホチール一A、ハイドロコートン六〇mg、テラプチク一A、ネオシネジン一A、セジラニド一Aを追加し、エフェドリン二Aを皮下注射するとともに心マッサージを続行した。引き続いて自発呼吸やや弱い感じなので口対口人工呼吸と心マッサージを交互に施行し、更に蘇生器による人工呼吸をしたが自発呼吸は次第に弱まった。顎を挙上して蘇生器により人工呼吸をしたところ、酸素吸入により容易に胸部が脹らむので喉頭痙攣、舌根沈下はないと判断した。蘇生器で人工呼吸をしながら引き続き心マッサージ続行した。気道が確保できているかを確認するため時々口対口人工呼吸を施行した。

(18) 応援の訴外小島満医師(外科)が到着した。交替で心マッサージ、人工呼吸を続行した。心音不明、頸動脈拍動不明であった。

右足静脈にブドウ糖五〇〇ml、ネオシネジン一A、エフェドリン一A、ネオフィリン一A、タチオン二A、ノルアドレナリン二Aを追加点滴静注した。

(19) 午後二時五〇分

他の三名の応援医師も到着し、被告ほか四名の医師で懸命に蘇生術を施したが、午後三時四〇分、亡牧子の心臓は完全停止し、瞳孔散大、生体反応消失を認めた。

三  同三について

1(一)  同三1(一)のうち、前段は認め、後段の主張の趣旨は争う。

脊麻ショックは、必ずしも麻酔手技ないし患者管理だけが原因となって生じるものではない。患者の体質が原因となる場合もある。医師に過失がなくても事故は起きるのであり、事故防止には限界がある。

(二)  同三1(二)、(三)は争う。

麻酔の手技ないし麻酔管理に起因する麻酔ショックは、麻酔が必要にして十分な麻酔域に止まらず、高位に及んだ場合に徐々に呼吸筋が麻痺し、血圧も下降し、呼吸不全から遂には呼吸停止に至り、ショックに陥るものであるが、穿刺注入後麻酔が固定するまでの一〇分ないし二〇分の間に発生するものである。

(三)  同三1(四)は一般論としては認める。

(四)  同三1(五)の主張の趣旨は争う。

麻酔を使用して行なう手術の際に発生するショック(いわゆる広義の麻酔ショック)の中には、前述の麻酔管理に起因するものの他に、二つのショックがある。一つは、アナフィラキシーショックと呼ばれる薬物ショックで、薬物それ自体が体内に注入されることにより急速に生体の異常反応を呼び起こすもので、注入後数分以内に発生する。今一つは、術後ショック又は心原性ショックと呼ばれるもので、手術それ自体が生体に対する強度の侵襲であるところから、これがストレスとなって発生するものである。抵抗薄弱素因を呈する胸腺リンパ性体質、心臓・肝臓・腎臓・副腎等の実質臓器の変性又は形成不全を呈する特異体質に発生する。

(五)  同三1(六)は一般論として認める。但し、麻酔薬注入後二時間半にわたって血圧測定を継続すべきであるとの点、静脈の確保が必要的であるとする点は争う。

(六)  同三1(七)のうち、前段は一般論として認め、後段は争う。

現代医学上いかに万全の処置が採られたとしても、必ずしもショック状態の防止ないし回避が可能であるとはいえない。個々の事例に即応して判断されるべき問題である。人工呼吸の点についても、加圧呼吸器があればそれで足りるというわけではなく、要は肺の中に空気を送り込めるかどうかにかかっている。

2  同三2(一)のうち、亡牧子が事故当時一二歳であったことは認め、その余の事実は否認する。

同三2(二)の事実は不知。同三2(三)の事実は否認する。

3  亡牧子の死因は、前述の分類による術後ショックである。すなわち、

本件の場合、前記二9のとおり、亡牧子は血圧、脈拍、呼吸及び意識レベルとも正常であり、麻酔剤を注入してから七十数分後に突然異常に陥ったわけである。また、手術終了後も亡牧子が発声をしている事実からみて、呼吸抑制は生じていなかったと考えられる。したがって、本件のショックは、まさに術後ショックであることは明らかであり、これは、亡牧子の何らかの特異体質のゆえに、手術の終了時点まではその侵襲によるストレスにわずかに耐えていたものが、遂にこれに耐えきれずにショックに陥ったものと推論せざるをえないのである。

四  同四について

1  同四1について

(一) 同四1(一)の前段は一般論として認め、後段の事実は否認し、主張は争う。

亡牧子は手術当時脱水状態にはなかった。なお、血管確保の意味で五パーセントブドウ糖五〇〇ミリリットルを静注点滴しているが、これにも脱水症予防の意味がある。

(二) 同四1(二)の各注意義務は一般論として認め、各事実は否認する。

麻酔剤を注入した後、堺看護婦は、最初の一五分間(執刀開始まで)二、三分おきに血圧、脈拍を測定して、これを被告に報告し、五分おきに手術記録に記入している。そして、執刀開始後も、同看護婦は五分ごとに血圧、脈拍を測定して被告に報告したうえ、右記録に記入している。被告は、手術台を約一〇度頭部高位として麻酔剤を注入し、その後継続的に麻酔高を調べ、麻酔が高位にならないように注意し、執刀中も麻酔高を調べて万全を期した。また、亡牧子の顔色の悪いのに最初に気付いたのは被告である。

2  同四2について

(一) 同四2(一)の事実は否認し、主張は争う。

(二) 同四2(二)のうち、注意義務の内容は一般論として認め、事実は認めるが、主張は争う。

被告は必要な措置は適切に採っており、原告主張の措置を採らなかったのは必要がなかったからである。

(三) 同四2(三)は争う。

3  本件手術において、被告は、術前の措置、麻酔管理及びショック後の措置のいずれの点においても、一般の医療水準以上の注意をもって診療に当たっており、過失はない。

五  同五の事実は不知。

第四  証拠<省略>

理由

一当事者と本件事故

亡牧子が昭和五三年一一月一日、被告の経営する清水医院(被告医院)で脊椎麻酔による虫垂炎の手術を受け、同日死亡したこと、亡牧子が原告らの子であり死亡当時満一二歳であったことは当事者間に争いがない。

二亡牧子の死亡までの経過

1  経過事実の認定

<証拠>より昭和五六年九月一日に本件手術が行なわれた被告医院の手術室を撮影した写真と認められる同第一七号証の一ないし七、証人堺勝子、同志鹿詩子及び同清水玲子の各証言の各一部並びに原告両名及び被告の各本人尋問の結果の各一部を総合すると、次の各事実が認められる。

(一)  亡牧子は、昭和四一年三月四日生まれで、昭和五三年一〇月当時中学一年に在学中の身長約一六五センチ、体重約五〇キログラムの体格の良い児童で、心室中隔欠損症の既往症はあったが、医師から治癒したものとして運動等通常の生活を認められていたものであるところ、同月三一日午後四時ころ強い腹痛を覚えたため、原告毬に伴われて同日午後五時三〇分ころ訴外椎橋内科を訪れ、診察を受けた。

同内科医師は診察の上、虫垂炎、白血球一万一〇〇〇と診断のうえ、原告毬に転医を勧め、右診断結果のほか心室中隔欠損症の既往症を有する患者であることを記載した紹介状を書いて転医先として被告を紹介した。

(二)  そこで、亡牧子と原告毬は、椎橋医師の紹介状を携え、直ちに、被告医院に赴いた。

被告は、同日午後六時ころ亡牧子を診察のうえ、急性虫垂炎と診断して入院を指示し、亡牧子はこれに従って入院した。

被告は、夕食が済んでいなかった亡牧子に対し軽食をとることのみを許可し、それ以後の飲食を禁じた。

(三)  被告が翌日午前八時三〇分に亡牧子を診察した結果、白血球が一万八〇〇〇に増加していたが、亡牧子の自発痛はそれ程強いものではなかった。このとき亡牧子は、血圧一二八―六〇、脈拍七八であり、家族歴に問題はなく、既往症の心室中隔欠損症は治癒しているとのことであったので、被告は格別手術に差し支える状態にはないと判断のうえ、虫垂切除術実施の適応のあることを再確認して、一時に手術するとし、引続き飲食を禁じた。

また、被告は、午前一〇時ころ、亡牧子に対し、麻酔のための問診をしたところ、格別手術に支障となる点は認めなかった。

(四)  本件手術において、被告医院で手術に関与できる態勢にあった者は医師(院長)である被告、看護婦である堺看護婦、いずれも医療従事者として資格を有しない補助職員である志鹿及び被告の妻玲子の合計四名であった。

(五)  一時前ころに、亡牧子は三階の手術室に入室し、手術予定の一時ころには、前記四名が手術室に集まった。被告は亡牧子の血圧、脈拍を測り、手指を消毒し、堺看護婦は前投薬の硫酸アトロピン及びエフェドリン0.5mlを亡牧子に皮下注射した。

(六)  一時二〇分に、被告は、亡牧子を左側臥位にして第三腰椎と第四腰椎の椎間部に穿刺し、脊椎麻酔剤であるネオペルカミンS2.1ccを注入した。

注入後、被告は、亡牧子を仰臥位にし、注入後約五分を経過したころ手術台を約一〇度の頭高位傾斜にして固定したうえ、麻酔の効き具合を確認しながら開腹手術を開始した。右の頭高位の体位は手術中そのまま継続された。

(七)  執刀開始後一五分程経過したころ、被告は亡牧子の虫垂を切除して取り出し、廊下で、待機していた原告毬を手術室内に招き入れて同原告に切除した虫垂を見せ虫垂炎の診断に誤りがなかった旨説明した。その際亡牧子は原告毬に対し、疼痛と気分の悪いことを訴えた。

(八)  その後二〇分程して被告は亡牧子の開腹部を縫合し、手術が終了したとして原告両名を手術室に招き入れ、摘出した虫垂を原告らに見せて説明した。その時も亡牧子は、疼痛と気分が悪いことを訴え、顔色が悪く、寒いと言っていた。

被告は、堺看護婦らに対し亡牧子に寝巻を着せるように指示し、同看護婦、補助者志鹿は協力して亡牧子にパジャマを着せた。

(九)  原告らは短時間で手術室から外に出たが、間もなく、被告が手術着をセーターに着替えた姿で手術室から出てきた。原告両名が亡牧子が気分が悪いと言っていたことを心配して被告に尋ねたところ、被告は、麻酔がさめる時はこのようなものであり、大丈夫だと答えた。

このとき、原告毬が、亡牧子の顔色が蒼白であるのに気付き驚いた声を発し、同時に堺看護婦らも驚きの声を発したので、被告は急いで手術室内に戻り、既に外してあった血圧計を装着して血圧を測定しようとしたが血圧の低下が著しく測定が困難であった。

(一〇)  被告は堺看護婦に亡牧子の血管を確保して昇圧剤を静脈注射することを、補助者志鹿に一階から蘇生器を運び入れることをそれぞれ指示し、さらに補助者志鹿に、玲子に有馬医師ほかの医師に応援を依頼する手配をするよう伝えることを指示した。

(一一)  堺看護婦は、被告の指示を受けて亡牧子の下肢に昇圧剤の静脈注射をしようとしたが既に血圧が低下していたために、静脈を探り当てることができず、他に昇圧剤を注入するための血管が確保されていなかったため昇圧剤の注入ができなかった。

(一二)  その間被告は、口対口人工呼吸を試みたうえ、心マッサージを試み、応援医師が到着した二時四五分の少し前ころから補助者志鹿によって運び込まれていた蘇生器を使用して酸素の供給を行なった。

(一三)  二時四五分ころから順次数名の応援の医師が被告医院に到着し、交代で、人工呼吸や心マッサージを施したが亡牧子は、三時四〇分ころまでの間に死亡した。

以上の各事実が認められる(但し、(一)のうち後段の事実、(二)のうち、被告が昭和五三年一〇月三一日午後六時ころ椎橋医師から紹介を受けた亡牧子を診断し、同女を被告医院に入院させ、軽食だけを許可したこと、(五)のうち、亡牧子が午後一時ころに手術室に入室したこと、同じころ被告、堺看護婦、補助者志鹿及び玲子の四名が手術室に集まり、同人らにより手術のための準備、前投薬の皮下注射が行なわれたこと、(六)の事実中第一段の事実、第二段の事実中注入後頭高位にした事実、(七)の事実中、被告が原告毬を手術途中で手術室に招き入れて亡牧子の虫垂を見せたこと、(八)のうち原告両名が手術終了後に手術室に招き入れられたこと、(一二)のうち、被告が心マッサージや口対口人工呼吸を試みたこと及び(一三)の事実は、当事者間に争いがない。)。前掲各証拠中右認定に反する部分は措信できず(なお、証拠の取捨については、のちにさらに判示する。)、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  認定上の問題点に関する証拠の判断

(一)  麻酔剤注入後から虫垂切除、縫合終了、亡牧子に生じた血圧降下の発見にいたるまでの時間の経過について

<証拠>によると、麻酔剤を注入して約一五分を経過した一時三五分ころ執刀を開始し、それから約二〇分して虫垂を切除し、更に約二三分して縫合を終了して手術を終えたが、更に約一七分を経過した二時三五分ころショックないしはプレショックが生じたというのであって、麻酔剤を注入して手術が終了するまでに五八分、執刀を開始して手術が終了するまでに約四三分を経過し、麻酔剤を注入してからショックないしプレショックの発生までに七五分を経過していることになる。これに対して、原告ら各本人尋問の結果によると、執刀が開始されたのは一時五分ころであり、虫垂が切除されたのが一時三五分から四〇分ころ、手術が完了して手術室内に呼ばれたのは一時五五分ころ、ショックが始まったのは原告らが手術室を出て後五分位というのであって、時間の経過について著しい食い違いがみられる。

原告ら本人が、親として亡牧子の手術の経過に強い関心と不安を抱いて注視していたことはその各本人尋問の結果によって窺われるところであり、右手術の経過についての供述も相当の信頼性があるものとみられる。しかし、その各事項についての時間については、これをその都度記録していたわけのものではなく、後からその経過を追って記憶を呼び戻した結果によるものであるから、厳密な正確性は期待できないものと考えられる。また、手術の開始時刻については、手術室の外にいて、扉越しにその気配を窺って推測した結果によるもので、そのまま認定の根拠にすることはできない。

これに対して、被告側の<証拠>によると、堺看護婦が手術中に脈拍、血圧を測定した結果をその都度記載したものに被告が、亡牧子死亡後に主要な経過事実をまとめて書き加えたものであるというのであり、そうであるとすればその記載内容、特に、執刀開始の時刻、虫垂切除の時刻、手術終了の時刻については一応診療経過の記録として信用性があるものと考えられないでもない。

しかしながら、被告医院で一五年以上にわたって手術の補助を行なっているという前掲証人志鹿の証言によると、被告の行なう虫垂切除手術では、通常麻酔剤注入後五分くらいで執刀を開始し、執刀開始から切除までは一〇ないし一五分位、切除から縫合終了までもおなじく一〇ないし一五分位で終わるのが普通であり、亡牧子の手術も普通の虫垂切除手術と同じようであったというのであり、被告本人尋問の結果によっても、通常の虫垂切除手術は三〇分位で終わるというのである。この点について昭和五三年三月日本医師会発行の「日常診療のガイドブック」(成立に争いがない甲第八号証。以下「日医ガイドブック」という。)によっても「脊麻後五―一〇分後に手術が開始され、約一五―三〇分で手術が終了することが多い」とされている。そして、被告本人尋問の結果、前掲堺の証言を検討すると、亡牧子の虫垂切除の手術は縫合終了までの間において特に時間を要するような異常な経過があったものではなく、普通の手術の経過で終了したものと認められる。この事実は成立に争いがない乙第一号の一(被告が記載した診療録)にも「約三〇分にて手術終了」と記載されている点からも窺われる。これらの点に照らすと、右乙第二号証の一に記載されている手術の経過はその時間経過において不自然に長時間を要しているようにみられる。また、着替え中に亡牧子の異常(乙第二号証の一に記載されているショック)がみられ始めたとすると手術が終了して着替えが行なわれるまで一七分を経過していることになるところ、前掲証人堺、同志鹿の各証言、被告本人尋問の結果によると、手術終了後、原告らを室内に招き入れて手術の説明をし、亡牧子にパジャマを着せるように指示して原告らを退室させ、被告は着替えをしたというのであり、その他に被告が特に時間の経過を伴うような行動をした事実は認められない。そうであるとすると、手術終了後着替えまでに不自然に長時間を経過したようにみられ、原告らが手術室を退出してから五分位して被告が手術室から出てきたという原告毬本人尋問の結果の方が自然な経過にみられる。しかも、前掲乙第二号証の一の、二時三五分ショックの記載は、その時間の確認がどのようにしてなされたかについて、被告本人尋問の結果によってみても明確でなく、その供述内容と、前掲証人堺の証言とも食い違う(被告本人尋問の結果によると、ショック発生の時間は堺看護婦と時間を確認のうえで記載した趣旨を述べるのに対し、前掲堺の証言では、いつショックが生じたか認識していないというのである。)のである。これらの点を検討すると、被告側の前掲各証拠に示されている時間の経過にも疑問があるというほかない。結局、亡牧子が手術室に入ってからショックが生じた間の時間の経過については、通常の手術経過を経たとの認定のもとに以上の各点を比較検討し、総合して前記判示のように認定する。

(二)  血圧の測定について

原告毬本人尋問の結果によると、虫垂切除が終わって原告毬が手術室に呼び入れられたときには、亡牧子の近くに血圧計はなかった、手術開始後一五分間位は玲子が血圧測定の結果を読み上げる声がしていたがその後はその声がしなくなったというのであり、これによると原告ら主張のように、その時点では既に亡牧子の血圧測定が行なわれていなかったのではないかと考えられないでもない。しかし、亡牧子の手術経過が第一の関心事であった原告毬が、短時間手術室の中に入った際にした観察がどれ程信用できるか疑問というほかなく、手術室内で行なわれた経過を扉の外から推測した結果について直ちに信用性を与えることもできないから右供述結果のみをもって、麻酔剤注入後一五分の間は二、三分毎に、それ以後は五分毎に血圧を測定した旨の前掲証人堺の証言を信用できないものと断定することはできない。

もっとも、血圧、脈拍測定の結果をその都度記載したものであるという乙第二号証の一については、そのようにして、その都度正確に記載されたものであるかについては疑問がある。すなわち、前掲証人堺の証言によると、同書面は、堺看護婦が手に持った用紙(カルテ用紙の裏)に、測定の都度記載したというのであるが、血圧、脈拍を頻繁に測定しながら、しかも診療録用紙の裏という特に厚手でもない用紙を手で持ったままで記載したにしては、整然ときれいに記載されてあり、しかも五分毎に全く時間の狂いがなく測定結果の記載があるなど不自然な点が多く、前記認定の手術の時間的経過とも付合しないことも考慮すると、右記載及び前掲証人堺の証言、被告本人尋問の結果のように手術終了まで、整然と血圧の測定が行なわれ、測定の都度記載されたかについては疑問があり、これをもって血圧測定の結果、血圧測定時間を認定する資料とすることはできない。この点は、鑑定の結果(鑑定人北原哲夫尋問の結果。以下同鑑定人提出の鑑定書記載の鑑定の結果を「鑑定書の記載」、鑑定人尋問による鑑定の結果を「鑑定人尋問の結果」といい、両方を併せて「鑑定の結果」という。)によると、本件手術におけるように、術前に0.5mlのエフェドリン(昇圧剤)を投与しただけで乙第二号証の一に記載されているように長時間にわたって安定した血圧を続けたことは普通考えられないとされていることとも付合する。

(三)  亡牧子の異常に気付いたときの状況について

原告毬本人尋問の結果によると、亡牧子の異常に最初に気が付いたのは原告らであり、同時に堺看護婦が気付いて大騒ぎになり、手術室を退室しようとしていた被告が引き返して混乱が始まったというのに対し、被告本人尋問の結果、前掲証人堺、同志鹿の証言によると、着替えをしながら亡牧子を観察していた被告が亡牧子の異常に気付いたといい、被告本人尋問の結果によると、亡牧子の異常に気付いて被告が直ちに血圧を測定した結果、血圧は一〇〇―四〇で、未だショックというのではないが、ショックが生じる恐れがあったので手当てを始めたところ血圧が急激に低下し始めたというのである。

そこでこれらを検討してみるに、被告本人尋問の結果にいうような血圧測定の結果については、前掲乙第二号証の一はもとより、同第三、第六号証にも記載がないばかりでなく、同第六号証には、「血圧仲々はかれない」と記載されている。同第二号証の一に記載することは、緊急の場合で無理であったとしても、他の二種の書面は、被告本人尋問の結果によると、亡牧子の死後その日の夜、手術についての経過を思い出して被告自身が記載したというのであって、そのようであったとすれば、異常に気付いた際の血圧という極めて重要な事項について書き落としたということは到底考えられないところであり、この時点で血圧の測定が得られたということは、被告本人尋問の結果における供述のほかには全くその事実を認めるに足りる証拠はないし、被告らの主張においても被告本人尋問の後にはじめてその事実が出されている。そして、右手術経過を記載したいずれの書面を検討しても、異常に気付いた後、一旦血圧の測定ができたのちに血圧が急速に低下していったというような経過を記載したところは全く存在しない。右各書面の記載に関する被告本人尋問の結果中の供述は、曖昧で一貫しないものがあるのに対し、亡牧子の異常に気付いた際の状況についての原告毬本人尋問の結果中の供述はいずれも具体的で特段に不自然なところも見当たらないところをも総合して判断すると、亡牧子の異常は、原告毬本人尋問の結果にあるように、原告ら及び堺看護婦によって発見され、被告がこれによって気付いたときには、既に血圧の測定が困難な程に降下していたものと認めるのが相当である。

(四)  血管の確保について

前掲乙第三号証によると、「亡牧子の血圧が下がったのを認めた時点で直ちに足静脈にリンゲル五〇〇ミリリットルを追加した。そのとき左肘静脈にはぶどう糖一〇〇ミリリットルが入っていた。」趣旨の記載があり、前掲乙第六号証には、「点滴を右下肢に追加を命じる。すぐ入る。」との記載があるほか、左肘と右下肢に分けて注入した薬液名の記載があり、被告本人尋問の結果、前掲証人堺の証言中に血圧の降下が認められたときには左肘には点滴が継続中であったこと、ショックが始まったときに備えて下肢に血管確保を命じ、堺看護婦が直ちに右下肢に点滴を始めたこと、血管は一回で容易に確保することができたことの各供述がある。

これに対し原告毬本人尋問の結果によると、手術が終了して手術室に呼び入れられたときには亡牧子の腕は身体に沿って下げられており、腕には何も付けられていなかった、亡牧子の死亡が確認されて手術室に入ったときには、堺看護婦が亡牧子の左足首のところに屈み込んで泣いており、亡牧子の左足首に無数の注射針を刺した跡があった旨の供述があって、この供述によると、手術が終わった時点では血管は確保されていなかったし、下肢に血管を確保して昇圧剤等を注入したということもあり得ないことになる。

そこで検討するに、<証拠>によると、脊椎麻酔中に生じる血圧降下に伴って生じるショックに対しては、寸秒を争う処置が必要であること、急速な血圧降下が生じると血管を探り当てることが困難になるため予め血管を確保しておく必要があること、大量の輸血、輸液を行なう必要があるような場合はともかく、ショックに対する薬液の投与のような場合には血管の確保は一箇所で十分であり、この血管から早急に昇圧剤等の薬剤を投与する必要があることが認められる。

被告が亡牧子の異常に気付いたときには、亡牧子の血圧が測定が困難な状態になっていたことは既に判示したとおりであり、このような状態に陥っていたのである以上、左肘に血管が確保されていたのであれば、即座に同血管を用いて昇圧剤等の投与がなされたはずである。しかるところ被告は堺看護婦に新たに血管の確保を命じたというのであって、理解し難い処置というのほかない。また、既に測定が困難な程度に血圧が降下していたというのであるから、堺看護婦が、一回で容易に下肢の血管を探り当てたというのも疑問とせざるを得ない。

さらに、血管の確保をしたという堺看護婦の証言(前掲証人堺の証言)についてみると、応援医師がどのような医療処置をとっていたかを聞かれたのに対し「私はとにかく点滴のほうを指示されておりますので、この場合は本当に静脈は出なくなります、こういう場合は、ですから静脈の確保だけをやっておりますので外の先生が、外の看護婦が何をやったということは覚えていません。」と答えており、これによると、応援医師が到着してからもなお血管の確保ができないでこれに係り切っていたようにみられる。

以上の点を総合勘案すると、亡牧子にショックが生じた時点において、左肘に血管が確保されており、右下肢に血管が確保された旨を記載した前掲乙第三、第六号証、前掲供述はいずれも採用することができない。

三亡牧子の死因

1  脊椎麻酔に関する医学的知見

<証拠>によれば、次のように認められる。

(一)  概要

脊椎麻酔は、脊髄を取り巻き髄液を満たしているクモ膜下腔に局所麻酔剤を注入して脊髄神経根部に作用させ、下半身の知覚、運動を一時的に遮断し、手術に好適な状態を作り出す麻酔方法である。

ところで、脊髄、クモ膜下腔、クモ膜等は脊椎によって包まれているが、脊椎は三二ないし三四の椎体(脊椎骨)から成り、上から下にかけて、七頸椎、一二胸椎、五腰椎、五仙椎、三ないし五尾椎に分けられる。成人の脊髄は、腰椎の一番上の椎体(第一腰椎)辺りで円錐状をなして終わり、それ以下には存在しない。但し、脊髄の分節は、概ね脊椎の数に対応するだけ存在し、対応する脊椎よりも小きざみに区分されているため上方に存在する。そして、上から下にかけて八頸神経、一二胸神経、五腰神経、五仙骨神経、一尾骨神経から成る三一対の脊髄神経が脊髄の分節部分から体内に張り出している。

脊椎麻酔は、右のような構造を有する脊椎のうちの腰椎部に穿刺するのが通例であるため腰椎麻酔とも呼ばれる。

(二)  麻酔作用の仕組み

脊髄神経は運動神経線維、交感神経線維、副交感神経線維、知覚神経線維等から成るが、その線維の太さ等によって麻酔剤に対する反応が異なる。血管を収縮させる働きのある交感神経線維が最も速く遮断され、回復も遅いので、患者の血圧下降は知覚や運動の回復後にも起こり得る。

麻酔剤は注入されると稀釈、拡散し、神経線維の表面に吸着して麻酔作用を起こす。このようにして麻酔剤の濃度が低下すると麻酔剤は固定し、その後は患者の体位を変えても麻酔域は変化しない。麻酔剤の量や濃度によって異なるが、麻酔域は麻酔剤注入後一〇分から二〇分で固定するとの見解が多いが、固定までに更に長時間を要するとの見解もある。

麻酔剤には、脊髄液の比重よりも重い高比重液のものと、脊髄液と比重が等しいか軽い低比重液がある。本件手術で用いられたネオペルカミンSは高比重液であり、高比重液の場合には注入後、麻酔剤が身体の低位へ移動するので、麻酔状態を得たい手術部位と麻酔剤注入部位及び患者の体位等との相関関係が問題となる。人の脊柱はわん曲し、仰臥位の状態では、第三腰椎が一番高く、第五胸椎が一番低くなるので、本件手術におけるように第三腰椎と第四腰椎の間の部位に穿刺して麻酔剤を注入した状態のままにすると麻酔剤は頭側と足側へ移動する。したがって、体位の移動により麻酔域を調整する必要がある。

虫垂切除の場合の手術部位は中下腹部であるから、麻酔の高さによる分類では中位麻酔が要求され、これに必要な量の麻酔剤を注入することになる。

(三)  脊椎麻酔の危険性(脊椎麻酔ショック)

麻酔により知覚、運動、交感(自律)神経線維がすべて遮断され、患者の痛覚が失われ、筋肉が弛緩することは手術に適した条件であり、元来麻酔の目的とするところである。

しかし、運動神経麻痺は同時に呼吸筋の抑制に結びつき、麻酔の及ぶ領域(麻酔域又は麻酔レベル)が第二胸椎相当の脊髄分節以上に及ぶと呼吸困難が始まり患者は「呼吸が苦しい」「胸が苦しい」と訴えはじめ、ささやき声しか出なくなる。同第三ないし第五頸椎相当の脊髄分節以上に及ぶと横隔運動がなくなって完全呼吸麻痺が起きる。なお、麻酔レベルが第三、第四胸椎相当の脊髄分節まで上昇すると換気量一〇パーセント程度の減少にとどまるが、それでも胸郭や腹部の呼吸運動を知覚できないため息苦しさを訴える。

また、血管を収縮させる働きのある交感神経が遮断されると、その支配下の細動脈の血管運動神経麻痺が起こり血管が拡張して血流床の増大、血液停溜(プーリング)が起き、心臓への静脈還流が減少し、これに心拍出量の減少が加わり血圧が低下する原因となる。

右のような呼吸系及び循環系に及ぼす影響は、後述の麻酔管理下において、神経遮断を被らない上半身の呼吸筋の代償作用や血管の収縮等により補われるが、麻酔管理の不適切又は上半身の代償能力の不足、あるいはこの両者が相俟って呼吸系及び循環系の機能低下を招き、事態が悪化すると、いわゆる脊椎麻酔ショック(脊麻ショック)に陥る可能性もある。循環不全の場合も、その結果脳へ運ばれる酸素が欠乏して循環、呼吸中枢の機能低下を招き、あるいは心筋への酸素供給低下から心停止を起こす危険性がある。このような脊麻ショックは、従来から麻酔剤注入後一五分程度で発生するしそれが殆どであると考えられていた。しかし、その後昭和五〇年ころから、これを否定し、麻酔剤注入後三〇分の事故例が多く、一時間後にも発生するとの見解が有力に主張され、日医ガイドブックでは、一五分以内に発現するのは一五パーセント程度であり、一五ないし三〇分の間に五七パーセント、三〇分以後にも一七パーセントの発現がみられるとの調査結果を示したうえで九〇パーセントが一五分以内に発現するとしていた従来の考え方によって安易に対処することに警告している。

ところで脊麻ショックというのは必ずしも厳密な定義付けはなく、この用語を用いない考え方もあるが、一般には、脊椎麻酔施行中に生じた容体の急変を総称する場合(広義)と、そのうち、前示発生機序によってもたらされるもの(狭義)に区分され、後者がその事例の大部分を占める。稀に生じる事例として、薬物ショック又はアナフィラキシーショックと呼ばれる脊麻ショックの一つがある。これは、薬物としての麻酔剤に異常反応を起こしてショック状態となるものであり、薬物注入後直ちに何らかの異常反応が生じる。また、広義の脊麻ショックの一つとして、術後ショックと呼ばれるものがあるとの見解もある。これは、手術がストレスとなって手術後に生じるものであり、特異体質との関連性があると説明されている。

(四)  麻酔管理及び事故防止対策

(1) 呼吸対策

脊麻ショックが発生した場合は、呼吸機能の低下が急速に進行するおそれがあるのでこれに備えて麻酔実施前に手術室内に必ず蘇生器を用意し、直ちに人工呼吸ができるようにしておく必要がある。

(2) 血圧対策

以下の処置をとる必要がある。

手術施行時に血圧計を患者の腕に巻きつけておき、麻酔薬注入後二〇分間はできるだけ頻回に(例えば、二、三分毎)測定し、同時に麻酔高を調べる。それ以後は、五分毎程度に血圧を測定し、手術終了後麻酔がきれるまでは一〇分から一五分毎に測定する。(本件で用いられたネオペルカミンSの場合、麻酔が完全に切れるまでには二時間半前後を要する。)。

血圧が低下してきたときには、直ちに昇圧剤を投与する。この場合、エホチール、エフェドリン、カルニゲン等の昇圧剤を徐々に静注して血圧の反応をみる。

血圧下降が起こってからでは静脈穿刺が極めて困難になるので、必ず脊椎麻酔実施前から点滴静脈内輸液を開始して血管を確保しておき、これを用いて昇圧剤を投与する。

(3) 患者の体位等

高比重の脊麻剤を側臥位で注入する場合、麻酔剤が身体の低位に移動するので手術側を下方にすることが肝要である。したがって、右下腹部を手術部位とする虫垂切除の場合、右側を下方にして手術台にのせ、穿刺することになる。

ネオペルカミンSは、成人において、約二ミリリットル前後で臍高から乳頭高に及ぶ痛覚脱失域が得られる。

注入後は、仰臥させたうえ頭高位にし、麻酔剤が頭部方向に移動することを避けなければならないが、頭高位の体位を永く継続すると、血管が拡張した下肢に血液が停留し、心臓に還流してくる血流量が減って血圧低下を起すことになるので、麻酔域が固定するころからは体位を頭高位から水平位に変える必要がある。

なお、手術前に患者の状態を点検して、脊椎麻酔を実施すること自体が不適切でないかを確認し(脱水状態は脊麻禁忌である。)、手術中も患者の全身状態に注意し、容体の変化に直ちに対応できるようにするのは当然である。手術医とは別に麻酔医が手術に立ち会うのが理想であるが、それができないときは麻酔薬注入後二〇分以内位は手術医が麻酔管理に当たり、その後麻酔管理を経験の豊富な看護婦に委せて手術医が手術に着手するようにすべきである。

以上のとおり認められ、これを左右するに足りる証拠はない((一)前段の知見及び(四)のうち呼吸対策、血圧対策が一般論として必要であり、患者の一般状態を監視する必要があることは、当事者間に争いがない。)。

被告は、麻酔管理に起因する脊麻ショックは高位麻酔の場合に生じ、その発生までの時間は穿刺注入後麻酔が固定するまでの一〇分ないし二〇分である旨主張するが、右認定のとおり高位麻酔に限らず、心臓に還流してくる血流量の減少によってもショックを生ずるのであって注入後三〇分以上を経て発生した事故例も少なからず報告されていること前示のとおりであって被告の右主張は採用できない。

2  死因

(一)  亡牧子に生じた脊麻ショック

既に認定した、亡牧子の死亡までの経過に関する事実及び脊麻ショックに関する知見並びに鑑定の結果を総合すると次のとおり認められる。

(1) 亡牧子の手術後に生じた血圧の著しい低下(以下単に「ショック」ということがある。)は、麻酔の効果が持続している間に生じたもので、他にその原因となるべき外的、内的事由の存在を認めるに足りる資料は見当たらないから、脊麻ショックに該るものと推認するのが相当である。

(2) また、亡牧子に生じた脊麻ショックが、麻酔剤注入後直ちに生じたものではなく、手術終了後に生じている点に照らすと、右ショックは、いわゆる薬物ショックではないものと認められる。

(3) そして、亡牧子が虫垂切除終了後原告毬が手術室に入ったころから気分が悪いことを訴え、手術終了後にも同様に気分が悪いことを訴えていたこと、ショックの生じた時点は、麻酔剤注入後五〇分前後に当たり、麻酔の効力が持続している間であって脊麻ショックの生じる危険が十分に存在する時間帯であること、被告が亡牧子の異常に気付いたときには亡牧子の血圧が測定困難なほどに降下していたこと、後記認定のように、本件手術においてはいわゆる狭義の脊麻ショックを生じる原因になるべき事由があると認められることの各点と鑑定の結果を併せ判断すると、亡牧子に生じたショックはいわゆる狭義の脊麻ショックと認めるのが相当である。

被告は、亡牧子の死因が術後ショックである旨を主張し、これに沿う乙第三三号証(医師田中亮作成の鑑定書)の記載がある。しかし、右主張及び右記載は、麻酔剤注入後継続して良好な状態にあった亡牧子が注入後七十数分後に突然異常に陥ったこと、脊麻ショックは麻酔剤注入後一五分経過後は生じないものであることを前提にするものであるところ、その前提事実がいずれも認められないことは既に判示のとおりであるから、被告の右主張は採用できない。他に前記認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  脊麻ショックの原因

鑑定の結果によると、脊麻剤を投与した場合血圧の降下を伴うことが一般であり、手術前に昇圧剤であるエフェドリン0.5ミリリットル程度を投与しても安定した血圧を維持することは、患者の循環系の調応能力が余程優れている場合でない限り困難であり、しかもエフェドリンの効力は、三〇ないし四〇分で失われることが稀ではないことが認められる。エフェドリンの効力の持続力に関する前掲証人田中の証言及び同証人作成に係る鑑定書と題する書面(乙第三三号証)中エフェドリンの効力の持続時間に関する部分は、右鑑定に照らして措信できず、他に右認定に反する証拠はない。

狭義の脊麻ショックの発生の機序のうちの一態様として、下半身における運動神経の遮断、血管運動神経の麻痺、血液停溜、心臓への静脈還流の減少、血圧の降下、呼吸困難の経過を辿るものがあること、頭高位を維持し続けると血液が下半身に停溜して右脊麻ショックの原因になることは既に、医学的知見の検討において判示したとおりであり、本件手術において、麻酔領域が安定した後も頭高位が維持され続けたことは既に認定のとおりである。

そして、血圧の測定、管理がどれほど忠実になされていたかについて疑問があること、少なくとも縫合が終了した段階以後において血圧の測定がなされていなかったことも既に認定のとおりである。

以上の事実を基礎として検討すると、亡牧子について、脊麻剤投与に伴って生じる血圧降下が、頭高位の継続によって助長され、エフェドリンの薬効が失われると共に血圧降下を招来しショックを生じた趣旨の鑑定の結果は首肯するに足りるものと判断する。

なお、亡牧子が前日の夕食をとって以後手術のときまで飲食を禁じられていたこと、脱水状態が脊椎麻酔の禁忌とされていることは既に認定のとおりであるが、右程度に飲食を禁じたことによって、直ちに脱水状態を生じたものと推認することはできないし本件手術当時亡牧子が脱水状態にあった事実を認めるに足りる証拠もない。また、高比重脊麻剤を用いて虫垂炎の手術を行なう際の脊椎麻酔は、虫垂のある右側を下にして麻酔剤を注入すべきものとされているところ亡牧子については左側を下にして行なわれたことも既に認定のとおりであるが、これがショック発生の直接の原因をなしているものと認めるに足りる資料は見当たらない。

3  脊麻ショックと死亡との因果関係

さきに認定した脊椎麻酔に関する医学的知見によると、心臓への静脈還流が減少して脊麻ショックを生じた場合には、循環系、呼吸系の機能低下により心筋への酸素供給が低下して心停止に進行する危険性があるというのであって亡牧子の死亡までの経過事実において認定したとおり、亡牧子は、ショックの発生後、血圧の低下(失墜)の状態が改善されることなく呼吸困難、心停止の経過により死亡するに至ったもので、他に死亡の原因となるべき疾患を認めるに足りる資料はないから、脊麻ショックと死亡との間に因果関係が存在するものと認めるのが相当である。

四被告の責任

1  体位調整の誤り

亡牧子に生じたショックの原因については既に認定のとおり麻酔剤注入後の体位の調整を怠った誤りに起因するものというべきところ、この誤りは麻酔管理の責任を負うべき被告の過失というべきである。

2  血圧等一般状態の監視を怠った過失

亡牧子に生じたショックが循環系、呼吸系の機能低下により心筋に対する酸素の供給が低下して生じたものと推認されることは既に判示のとおりであり、亡牧子に対する血圧等一般状態の監視を尽していれば、より早期に亡牧子のショックの発生を予知し、対応処置を取ることができたものと考えられることは鑑定結果の指摘するところである。

亡牧子が虫垂切除の時点、手術終了の時点で気分の悪いことを訴えていたことも既に認定のとおりであり、これをショックの前駆症状と断定することはできないとしても、これにより亡牧子について身体上の何らかの機能の低下を疑ってより入念な血圧測定を行なうなど慎重な対応が必要であったものというべきであるのに、被告は手術に伴う通常の苦痛の訴えに過ぎないものとして特にこれに注意を払うことをしていない(被告本人尋問の結果)。亡牧子に対する血圧、脈拍の測定がどの時点まで、どのようになされたかを確定するには十分な資料がないが、少なくとも、乙第二号証の一に記載されたように測定され、記載のような脈拍、血圧を示したということが信用できないことは既に判示のとおりである。そして、手術終了の時点では血圧計は亡牧子の腕から外され、その後は血圧の測定、脈拍の測定ともになされず、ショックの発生に気付いたときには測定が困難な程に血圧が降下していたと認められるのであるから、被告には、亡牧子の血圧等一般状態の監視を怠った過失があり、これがショック発生の予知、発見を遅らせ、これに対する対応を遅らせたものというべきである。

3  予めショックの発生に備えておくべき処置の懈怠

(一)  血管の確保

脊椎麻酔においてショックが生じる危険性は、常に考慮に入れておかなければならないほどのものであり、ショックが発生した場合に即座に昇圧剤等の薬剤を投与することができるように血管を確保しておく必要があることは既に判示したとおりである。亡牧子について予め血管が確保されていなかった(もっとも、被告が麻酔薬注入に当たって予め血管を確保し、点滴を行なうことまで怠っていたとは考え難いところであり、そうであるとすれば手術を終えた段階で点滴の注射針を取り除いたのではないかと考えられるがこの点を確定するに足りる証拠は見当たらない。)ことも既に認定のとおりである。その結果、昇圧剤等の薬剤の投与ができず、亡牧子の機能低下が進行して死亡するにいたったものと判断すべきことは鑑定の結果に照らし明らかなところであるから、血管の確保を怠った被告の過失は亡牧子の死亡について原因となるべき過失というべきである。

(二)  蘇生器備え付けの懈怠

脊椎麻酔ショックが生じた場合、患者の機能低下は急速に進行するので、これに対する処置は寸秒を争う機敏さが要求され、このような場合に備えて、人工の強制呼吸器である蘇生器を手術室内に備えて即座に使用することができるようにしておくべきであることは既に判示したとおりである。そして、本件手術に当たり蘇生器が被告医院一階の分娩室に置かれていて、手術室内に備え付けられていなかったことは被告の認めるところである。

前掲証人堺の証言によると、蘇生器は、平常から訓練により、補助者志鹿によって三〇秒位で一階分娩室から搬入することができるようにしており、亡牧子にショックが生じた際も同様にして搬入された旨の証言がある。しかし、女性である補助者志鹿が、約二〇キロの重量がある(前掲証人志鹿の証言)蘇生器を、三階の手術室から一階の分娩室まで取りに行って搬入するまで三〇秒で終えるものとは到底考えられないところであり、右供述が短時間で搬入できる趣旨を述べているものとしても極端に短か過ぎるというべきであって、経験則に照らし、その間に少なくとも二、三分の時間を要しているものと認めるのが相当である。

被告本人尋問の結果、前掲証人堺、同志鹿の各証言について検討してみても、亡牧子にショックが生じた後における蘇生術について、一向に上昇しない血圧と、進行する呼吸困難に対応するため、口対口人工呼吸と心マッサージを繰り返したことは認められるが、それが、どのような状態に対してそのような順序でなされたかについては明らかでなく切迫した事態に対して混乱した状態が窺われる。特に、補助者志鹿によって搬入された蘇生器が、何時、どのような状態において使用されたかについて明らかでなく、さきに認定したように、応援医師が到着する少し前頃に使用されるにいたったことだけが認められ、搬入されて直ちに使用されたことを認めるに足りる証拠はない。以上によると、仮に当初から蘇生器が備え付けられていたとしてもこれが適切に使用されたかについては疑問がないわけではなく、また、蘇生器が当初から適切に使用されていたとすれば確実に救命し得たものと断定するに足りる証拠資料もない。

しかし、ショックが発生した場合、蘇生器により強制的に酸素の供給を行なうことが緊要な処置であることは既に判示したとおりであり、蘇生器がショックに気付いた時から手元に備え付けられていたとすればこれが使用されたであろうことも充分に考えられるところであるし、そうであるとすれば、その後における救命処置において口対口人工呼吸、心マッサージに忙殺された状態にも改善が考えられ、これによって、救命の結果が得られなかったとも断定できないのであって、蘇生器の備え付けを怠ったことは、少なくとも亡牧子について、当然とられるべき重要な救命の手段を失わせたもので、死亡の結果について原因となるべき過失というべきである。

4  原告らが主張するその余の過失、即ちショック発生後における対応処置の誤りのうち、昇圧剤等の薬剤投与を適切に行なわなかったとする点は、血管確保がなされていなかったと認められる以上、主として静脈を通じて投与されるべきこれらの薬剤が適切に投与されること自体期待できず、他にこれら薬剤を適切に投与する方法があったとも認められないから、血管確保の懈怠のほかにこれら過失をいうことはできない。

また、適切な人工呼吸の処置をとらなかったとする点についても、蘇生器の備え付けを懈怠したと認められることさきに判示のとおりであるところ、被告がとった個々の人工呼吸の処置については、被告本人尋問の結果、前掲証人堺、同志鹿の証言を検討してみても、どの時点で、どのような状態に対して、どのような処置が取られたかについて明確に認定することができず、診療経過を記載した前掲各書面によっても同様であって、急激に進行したショックに対して、医師一人、看護婦一人の状態(しかも、堺看護婦は血管の確保に手をとられた状態であった。)で、対応するのに精一杯といった状態が窺われるが、個々の具体的な人工呼吸の仕方について特に誤りがあったものと認めるに足りる証拠はなく、結局、蘇生器の備え付けを懈怠した過失の他に過失をいうことはできない。

五損害

1  亡牧子の逸失利益

亡牧子が本件事故当時一二歳であったことは当事者間に争いがない。そうすると、同女の就労可能年数は四九年間であり、同女の得べかりし年収を本件口頭弁論終結時の最新の賃金センサス第一巻第一表全国性別・学歴別・年令階級別平均給与額表(昭和六〇年度版)の女子労働者学歴計の年収二三〇万八九〇〇円とし、中間利息の控除につき、五五年(六七歳―一二歳)のライプニッツ係数18.6334から六年(一八歳―一二歳)のライプニッツ係数5.0756を引いた13.5578を使用し、生活費控除率を三〇パーセントとして、亡牧子の逸失利益を二一九一万二五〇〇円と算定するのが相当である。

(230万8900×13.5578×(1−0.3)=2191万2500,100円未満切捨)

2  亡牧子の慰謝料

前述のとおり、被告医院における安易な脊麻施行により難病でもない虫垂炎の手術で一二歳の命を失なったこと及び右1のとおり逸失利益として約二二〇〇万円の請求が認められる関係にあること等の諸般の事情を考慮し、亡牧子の本件事故による慰謝料として一五〇〇万円を相当と判断する。

3  原告ら固有の慰謝料

難病ともいえない虫垂炎の手術において、前記認定のとおりの被告の過失により将来ある娘を失なった原告両名の苦痛は極めて大きいものと考えられるが、亡牧子の逸失利益及び慰謝料は全部原告両名が相続により取得するという関係にあること、その金額が右1、2のとおり合計約三七〇〇万円であること等、本件に表われた諸般の事情を考慮すると、原告ら固有の慰謝料は、各二五〇万円をもって相当と判断する。

4  弁護士費用

原告らが原告訴訟代理人二名に訴えの提起を委任し、訴え提起前の昭和五四年八月に着手金として各自五〇万円を負担し、訴訟終了時に請求額の一割を報酬として支払う旨を約したことは弁論の全趣旨により認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

そして、本件における訴訟活動の困難さと右1ないし3の損害額合計が約四二〇〇万円であること等を考慮すると、被告の負担に帰すことのできる原告らの弁護士費用は各自二〇〇万円、合計四〇〇万円と判断する。但し、これに対する遅延損害金は、原告らが支払い済みの計一〇〇万円については原告ら請求の訴え提起時から、その余の三〇〇万円については原告らが報酬を現実に支払うことになる本訴確定時から認容するのが相当である。

六結び

以上のとおりであるから、不法行為又は債務不履行に基づく原告ら各自の請求は、亡牧子の前記五1、2の損害を二分の一の割合で相続した各一八四五万六二五〇円に前記五3、4の各自の固有の損害を加えた各二二九五万六二五〇円及び各内金二一四五万六二五〇円に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和五四年九月二一日から、各残金一五〇万円(将来支払いの弁護士報酬分)に対する本件判決確定時から、各支払い済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから、右の限度でこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を適用し、仮執行宣言の申立てについてはその必要がないものと判断し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官川上正俊 裁判官竹田光広 裁判官岡光民雄は、転任のため署名捺印することができない。裁判長裁判官川上正俊)

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